今から少し、こころ鍼灸整骨院を開業する前のお話をさせて頂きます。

 

患者さんや、同業の先生から

「なんで保険を使わないで整骨院をやるんや」

「保険を使わないのならば、いっそのこと整骨院の屋号を変えたら?」

と、言った声を頂きますので、少し私の思いを書かせていただきました。

 

私は開業する前、鍼灸整骨院で5年間知識や技術の下積みをしてまいりました。

次の修行をするために、選んだのは、内科・整形外科・胃腸科・循環器科の入った従業員が60~70名ほどいる病院で、リハビリをするスタッフとして、4年間様々な病気のことやお医者さんの考え方を学んだ後、こころ鍼灸整骨院を開業しました。

 

病院では柔道整復師の立場は低いものでした

 

病院のリハビリは「理学療法士」といって、骨折や手術をした後の患者さんや、脳梗塞をした患者さんのリハビリをする専門のスタッフがいました。

病院での私の仕事は、リハビリといっても肩こりや慢性の腰痛、お年寄りのひざの痛みといった症状を担当していたのです。

そんな中、病院に初めて勤務して幻滅したことがありました。

 

病院では柔道整復師の立場は低く、理学療法士の先生やお医者さんからは

「柔道整復師は、マッサージするのが病院での仕事やね~」

「治療というか、筋肉を指で押してるだけちゃうん」

と、柔道整復師を小ばかにする方もいらっしゃいました。

 

正直なところ、病院に入社したころの私は、お医者さんや理学療法士の方々と比べると、病気の患者さんを診てきた経験は劣りました。

しかし、こういった現実にただ黙っていることはできなかったのです。

同じ同僚たちは腹が立たないのか?それとなく聞いてみると、

「仕方ないよ」といった返事…

私はこの環境に憤りを感じました。

汚名返上

 

実際のところ、お医者さんからすれば理学療法士以外の仕事ぶりは褒められるものではなかったのかもしれません。

・お医者さんから「腰の背中の筋肉をマッサージ」という指示が出れば、言われたままマッサージをする。

・カルテを書かない。

このような業務内容が職場ではルーティン化されていました。

これは良くないと思い、その日からカルテを毎日書き、

私自身は「患者さんはどういった状態で、自分がどんな狙いをもって施術するのか?」という仮説を立てて毎日の業務に取り組みました。

以前はきっと

「お医者さんから指示が出てるんやからええやろ」

「いわれた事をやっておけばええねん」

と、言った怠慢な風習がはびこっていたのです。

 

そして、私はこの現状を変えようとある取り組みを始めました。

毎日1時間ほど早く出勤して勉強する日のはじまり

 

次の日から朝は毎日1時間ほど前に出勤し、自分の知らない病気のこと、CT、MRI、レントゲン、エコーといった専門の検査機器の勉強し、新たな治療技術を身に着けるため休日を利用し学びに行きました。

当時の私は、神戸市西区の実家から阪神尼崎の病院まで通勤していました。

家を出るときはまだ薄暗い6時過ぎのバスに乗って電車を乗り継ぎ通勤し、12時過ぎに病院を途中で抜け、鍼灸師の資格を取るため専門学校に通っていました。

授業が終わると、すぐに病院に戻り夜まで仕事をする。

これも開業したときに、私を頼って来院してくれた患者さんを一人でも多く治したいと思っていたので頑張れました。

スケジュールは大変でしたが、決して折れることはなかったです。

 

しかし、当時の私はまだ26歳でした。

柔道整復師の資格をとり、ようやく人並みに給料がもらえるようになったばかりで遊びたい盛りです。

仕事が終わってもわからなかったことを調べる毎日、休みの日は治療法の勉強会に参加していたので年に5日ほどしか、休日はありませんでした。

友人からは「付き合いが悪くなったな」となじられることもありました。

また、不真面目な柔道整復師達とは意見の衝突が起こり「アイツは気難しい奴や」と、嫌煙されていきました。

ある寒い12月の日、町はクリスマスのイルミネーションで彩れた景色を横に、毎晩遅くまで勉強し、朝はまだ薄暗いなか出勤する毎日。

寒さをこらえながら帰宅するバスを待っていると、吐き出す白い吐息を見て、急に寂しくなる日もありました。

 

頑張っていれば、応援してくれる人がいた

こんな毎日を過ごしていた甲斐があってか、私のことを応援してくれる人が現れました。

毎朝早く出勤し、わからないことを調べレントゲン技師さんや、お医者さんに質問したら、

「若いのに頑張ってるな!」

と、レントゲン技師の先生から、レントゲンやCT・MRIの見方、エコーの取り方、この検査にはどんな意図があるのか、まで細かく指導してもらえるようになりました。

お医者さんからは

「ちょっと体が悪いから、診てくれへん?」

と、今まで柔道整復師なんて相手にしなかった先生が、私に治療をお願いしてくるようになったのです。

 

私が主体となってはじまった勉強会

 

さらに、私はリハビリスタッフたちを誘って毎週1回、仕事の後に勉強会を開催し、私がお医者さんやレントゲン技師さんから学んだことを皆に伝えようと、自分が主体となり取り組みました。

こうして無我夢中で学び続けていると、ある時理学療法士のリハビリのリーダーから

「あの子は本当に勉強している」

「柔道整復師のイメージが変わった」

と、一目置いてもらえる存在になりました。

 

鍼灸師の国家資格を取得

その一年後、鍼灸師の資格を取得し、病院で鍼灸治療をする機会を頂けました。

病院では様々な病気の患者さんが来院していたので、肝臓の病気の時は背中の真ん中あたりに異常が起こることや、腎臓の病気の時には腰のあたりの異常や、足にむくみが起こることを、授業で学んだことを実際の臨床で何度も施術する機会を頂けました。

 

それから1年と6カ月勤務したのち病院を退職しました。

それから1年ほど整形外科に勤務し、そこでも怪我をしたての患者さんにはどんな処置が必要かを学んだ後、現在のこころ鍼灸整骨院を開業しました。

私は柔道整復師・鍼灸師の仕事が大好きです。もう一度生まれ変わってもこの仕事がしたいです。

ですので、私は保険の取り扱いをやめましたが、看板は鍼灸整骨院のままにしています。

これからも現在ご縁を頂いている患者さんや、新たに出会う患者さんに最高の治療ができるように精進しています。

 

もし、お体に不調を感じるようでしたらお気軽にご相談ください。

監修 柔道整復師・鍼灸師 作尾大介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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