院長 作尾大介 さくおだいすけ

作尾大介

経歴

  • 神戸市立神港高校 商業科 卒業
  • 姫路獨協大学 経済情報学部 卒業
  • 関西健康科学専門学校 柔道整復師科 卒業
  • 神戸東洋医療専門学校 鍼灸科 卒業

国家資格

  • 柔道整復師免許
  • はり師免許
  • きゅう免許

戦績

  • 2003年 極真会館 神戸選手権大会 重量級 準優勝
  • 2004年 極真会館 大阪府空手道選手権大会 中量級 優勝
  • 2005年 極真会館 滋賀県琵琶湖杯 中量級 準優勝
  • 2008年 極真会館 神戸選手権大会 中量級 優勝

特技

  • 空手 初段
  • そろばん 2級
柔道整復師免許
鍼灸師免許
鍼灸師免許

活動

モーションパルペーション研究会のスタッフとして、治療家を対象に技術を指導
詳しくは「モーションパルペーション」をご覧下さい >>

モーションパルペーションライセンス

はじめまして。こころ鍼灸整骨院院長の作尾大介です

生まれは神戸市東灘区の深江という町で10歳まで育ち、その後は神戸市西区、西神中央という町で育ちました。
父と母、4歳年の離れた兄と8歳年下の妹の三人兄弟の次男です。

父は貿易会社に勤めて貿易船で世界中を行き来していましたので、年に1、2回しか家に帰ってこられませんでした。母は自宅の1Fを改装し喫茶店をしていましたので、家にいない父の分も、子育てに商売にと忙しい毎日の中私たちを育ててくれました。

自宅が喫茶店ということから、幼少期はお店に来られるお客さんが僕を可愛がってくれて遊び相手になってくれたことを覚えています。

幼少期は「この子はいったい何を食べれば大きくなれるんだろう」と言われるぐらい、本当に線の細い子どもで、兄弟ゲンカをしてはよく兄に泣かされていました。
小食で本当に体の細い子どもでしたが、外で遊ぶことが大好きでよく探偵ごっこや虫取りをして活発に動き回っていました。

きっかけは…「一度でいいから兄に勝ちたい」

兄弟ゲンカのたびに兄に泣かされっぱなしでしたので、「体を強くしたい」こと。
そして、頭の回転が遅いと口ゲンカでも勝てないことから「頭の回転を速くする」こと。

この2つのために小学校時代に習い始めたのがそろばんと空手でした。
そろばんは楽しくて2級を取得することができました。

(余談ですが…そろばんを習っていた時は神戸市に住んでいましたが、現在院のある小野市はそろばんの町ですので何かと小野市とはご縁があったのかもしれません。)

空手にハマり追求する日々

私はどんなことでも好きになったりハマったりしたことはとことん追求したくなる性格で、小学校の高学年から始めた空手も28歳まで続けました。私が17歳の時に「どうせ空手をやるならば一番有名な道場に入門したい!」と思い、極真会館中村道場にあらためて入門しました。17歳から28歳までの10年以上も中村道場で稽古していましたので、僕にとって道場は自分の家にいるような感覚になります。

この中村道場は、関西では一番有名な道場であり極真会館の中でも名門といわれた道場であり、その道場の総本部に通っていたため、本当に厳しい練習でした…

そのおかげで2004年に大阪選手権で優勝することができ、道場の指導員としても10年ほど指導に当たりました。
一時は学業と仕事のため試合から離れていましたが、働きながらも「もう一度優勝をしたい」と思い、コツコツと練習を続け2008年に鍼灸の学生をしながら社会人として地方の大会で優勝することができました。

極真会館は全国に道場があり素手素足による殴り合い、蹴り合いをするので怪我をすることが多かったため、しょっちゅう病院や整骨院にお世話になっていました。
その経験が今の仕事をするきっかけとなったのです。

整骨院の先生になる!

怪我をする度に病院や整骨院に行きましたが、そのたびに感じることがありました。
それは、シップをもらって貼る、温熱機で温めるといったことよりも、硬くなってしまった部分や伸びない部分を先生に直接施術して頂いた方が体が楽になったことです。

このことがきっかけで、いつか僕も「仕事を続けていくのであれば、こういう仕事がしたい」と思うようになりました。

整骨院で働くにはどんな資格が必要なのかもわからないまま、その当時、ちょうど大学で就職活動の時期だったことも重なり、求人誌を見てアルバイト面接に行きました。ちなみに整骨院で働くには「柔道整復師」の資格が必要なのですが、当時はかなり人気の職種で希望者も多くいたにもかかわらず、僕は何の資格も経験もありません。当然、面接では落とされてしまいます。

どうすればいいのか?と考え、さっそく整骨院を開業されていた道場の先輩に相談し、このとき初めて『柔道整復師』という資格が必要なことを知り、専門学校のパンフレットを集め受験することになりました。

両親に相談し、大学卒業後、専門学校の入学金は自分で払うことを約束し、入学を決意します。
学費は奨学金制度とアルバイトで何とかしようと考えていましたので、専門学校入学までの大学4回生の一年間はアルバイトを3つ掛け持ちして必死で入学金を貯めました。
「専門学校に入学すれば、楽しい学生生活が待っているはず…」などという淡い思いはすぐにかき消されるぐらいに忙しい生活の始まりでした。

柔道整復師の学生時代は鍼灸整骨院に勤めながら夜間部に通いました。
学校では勉強についていくのに必死、さらに仕事は忙しい…。そして厳しい指導を受ける毎日。当時は大変でしたが、そのおかげで今があると思っています。

驚きの治療に遭遇

学校の勉強は本当に大変でしたが仕事は楽しかったです。特に職場で印象に残った出来事があります。
ぎっくり腰の患者さんが腰を曲げて来院されたのですが、治療を担当された先生がその患者さんの手に針を打つと、ほとんど腰の痛みがなくなり背筋を伸ばし感動して帰っていかれたことです。
それを見ていた私はその患者さん以上に驚き、「自分もこんな治療がしたい!」と柔道整復師の合格後、鍼治療をするために必要な『鍼灸師』の資格を取得するため新たに学校に通うことを決めたのです。

柔道整復師と鍼灸師の資格を取得するため、合計6年間という長い働きながらの学校生活が続き大変でしたが、仕事や治療の勉強は本当に楽しかったです。勉強が楽しいと思えたのはこの専門学校に入ってからでした。もっと早くこうなっていればよかったですね。笑

今の治療院の形を作るきっかけになった入院生活

専門学校時代は、午前は整骨院で働き午後は学校、という生活が続きました。その当時も空手は続けていましたが、練習は週に1回程度、ほんのたまに2回行ければよいほうでした。

『治療の勉強はしたい』
『空手も続けたい』
『国家資格は取りたい』

強欲だなとは思いましたが、「体力のある若いうちにしかできないだろう」とこの生活を続けていました。

ところが、柔道整復師の学生の間に空手の練習中に肩関節を脱臼するという怪我をしてしまい、それが癖になり手術を受けることになりました。

柔道整復師の国家資格に無事合格したので、そのまま鍼灸の専門学校に進むまでの春休みを利用して肩の手術を受けることにし、学校に2か月入院するという許可をもらい、リハビリ生活を送る事となりました。
この時初めて患者さん側に立ち治療を受ける側になったわけで、リハビリを受ける間にいろんなことを体験しました。

施術を受ける側(僕)が「勉強しよう」という立場で施術を受けていましたので、どうしても少しの変化でも敏感に感じるようになっていたこともあり、

「なんか今日の扱いは荒いな」
「あの先生、やり方と指導することが、バラバラやな」

というふうに、リハビリをする側の先生の体調が悪い時や忙しい時に対応がずさんになること、担当する先生によって技術や知識にムラがあることなどに、違和感を覚えずにいれなかったのです。

この時に感じた思いが、現在の『自費治療』をメインとした、
「患者さん一人一人と向き合って患者さんと共感して治療を“つくる”整骨院を作りたい」
と思うきっかけになりました。

鍼灸治療を学び、さらに楽しくなる治療

そして、各個人にあった治療を考える鍼灸治療の考え方にも影響を受けました。

鍼灸治療を学ぶうちに、「人には様々なタイプの人がいて、その方の症状にあった治療法を選択することができる」ということがわかってきました。

体の弱った人には強い刺激が向かないことや、反対に元気で力があふれかえった人には体にたまった熱を抜き取る治療を選ぶことなど、それまで私が整体治療をおこなうときに感じていたことが実際の治療法と一致していたのです。鍼灸治療を学び始めてからというもの、より一層ワクワクしながら整体治療に取り組むようになりました。

もっとみたい!もっと知りたい!

4年ほど勤めた鍼灸整骨院を退社後、鍼灸の学生の間に「もっといろんな病気で悩む人を診てみたい」、「レントゲンやMRI、CTの画像も見てみたい」、さらには「お医者さんはどんな考え方をしているのだろう?」などと思うようになり、病院に勤務することに決めました。

勤めた病院にはレントゲンやエコー、CTが完備されていたので、毎朝40~50分早く出勤してはレントゲン技師の先生や内科、整形外科の先生にお願いして勉強をさせていただきました。
この病院に勤めた4年間でいろんな病気のこと、検査の重要性を学ぶことができました。

画像診断を学んでもう一度決意!

実際のレントゲン画像で骨折をした部位の写り方もたくさん見てきました。その中で、慢性化した腰痛や肩こり、肩や関節の痛みの場合、レントゲン画像に写る異常な場所と症状が出ている場所がほとんど一致しないことに気が付いたのです。

なのに「脊柱管狭窄症」「変形性関節症」「ヘルニア」という診断が下される。

なぜだ??

よくよく話を聞くと、「たとえ本当は画像診断上では病名がつかない症状だったとしても、そういった診断名をつけなければ保険内で診察が受けられない」という現状があったのです。

“診断名がつけられないような患者さんの症状は、本来保険の対象外である”

ここで再び、今の治療院の形態(自費治療の院)にしよう!と決意しました。

体の不調と痛みに悩む人はたくさんいるのに、保険制度という枠にはまると的確な診断と治療が受けられない場合がある。
それならば、自費でしっかりと必要な治療をして早く良くなったほうがいいじゃないのか?と僕なら思うんです。

もちろん、骨折や脱臼、内臓の症状、腫瘍など画像の撮影が必要な場合もあります。病院での勤務では、そのような場合の検査の重要性も学ばせていただきました。

修業時代でも空手の練習を続けた理由

病院での勤務時代も空手は続けていました。
なぜ、そんなにこだわったのか?

実は、大学生の時に道場の練習を週に6回、さらにウェイトトレーニングやランニングもバリバリやっていた時に出場した大会で、サラリーマンをしながら空手を続けている選手に負けてしまったことがあったのです。

「基礎体力、練習量は確実に僕のほうが勝っているのに、週に良くて2、3回しか練習をしてない選手に負けた…」

当時はすごく落ち込みましたが、「強いとは何なんだろう?」ということを考えるきっかけになり、練習に対する取り組み方、集中の仕方、勝ちたいという思いなどに差が出たんだと思い至りました。
僕に勝った相手の選手は、仕事をしながら自分を追い込む厳しい練習をして、社会人としても成功を収めている。

どちらが強いのか?どちらが尊敬できるのか?

考えるまでもなく、答えはすぐに出ました。
この体験で「仕事も充実させながら空手の大会で優勝したい」と思うようになったのです。

“仕事をやりながら学業を積み、練習をしてどれも手を抜かない”
頭で考えるのは簡単でしたが、当然、実行するには体力と気力がいるものです。
それでも「これも一つの修行なんだ」と捉えました。

最初に勤めた整骨院で、オーナーの机の前に刺激的な言葉が貼ってありました。
『挑戦の先には、成功と成長しかない』
しんどい時や心が折れそうな時にはこの言葉を思い出し、自分を奮いたたせました。

とはいえ、仕事と学業と修業の三つ巴状態だったので、どうしても練習時間が限られてしまう。

時間がないのなら…

こんな状態でどうすれば優勝できるのか?

そこで「自分の職業の長所を考えて練習の質を上げよう」と思いつきました。
体の解剖と生理学、運動学の知識があったので「練習をしながらトレーニングの勉強をしよう」と、アスリートにトレーニング指導をされている先生にお願いをして教えを乞い、「これはなぜですか?」「どのように作用するんですか?」と、とにかく聞きまくりその動きを練習し体感して、それを道場での練習とジムでのトレーニングに活かしました。

ここでの先生との出会いが、私を治療家として、そして空手の選手として大きく成長させて頂けたと感謝しております。
この経験が、現在おこなっているアスリートの治療において、どのようにして痛めたのかがわかるようになり、趣味で運動をする方に指導する際にも役に立っています。

そうして時間のない中でもできることを全て取り入れて挑んだ2008年、地方の大会ではありますが中量級で、対戦相手のほとんどが10代、20代という若い選手達との闘いでしたが、体力負けすることなく優勝することができました。

何事にも努力して挑戦する

最初の職場のオーナーが書いた言葉の通り“成功と成長”ができたと思えました。
この経験を経て、今でも「何事にも努力して挑戦する」ということを忘れないように取り組んでいます。

この大会で目標を達成できたこともあり、空手は一線を引き、今まで競技に注いできたエネルギーをすべて治療の勉強に注ぐようになりました。
そして、鍼灸の専門学校合格後、病院や整骨院で積んだ今までの経験を、さらには空手の稽古やトレーニングの考え方、鍼灸、整体の治療法を活かし、トータルに患者さんを治療できる治療家になりたいと思い、現在も情報を取り入れることも忘れずに日々治療をアップデートするよう心がけております。

不思議な縁でつながっていた小野市で開業

「整骨院の先生になる」と決意し、「自費の治療院を作りたい」という思いを抱きながら修業する中で、病院と整骨院が昼までの勤務の日と日曜日や祝日を使い、家族や友人の知り合いから、腰が痛い、肩がこる、膝が痛い、という方を紹介してもらい、その方たちの自宅を訪ね、実際に治療しながらより実践に近い形で修業を積もうと試みました。

この試みの中で、「自分の治療を気に入ってくれて、顧客になる方が100人を超えたときに開業をする!」と決めていたのです。
この業界に飛び込んだ23歳以降、開業する32歳までの間、休日は往診や治療のセミナーに参加するため、1年に10日も休むことはありませんでした。

正直、体力的にも、精神的にも本当に大変でした…。
ですが「いつか必ず自費診療のみで、治療院を開業するんだ!」という思いがあったので、どれだけしんどくても眠たくても心が折れることはありませんでした。いつか自分が自費診療の治療院を開業した際には、すべての患者さんに満足してもらえるようになるため、時間とお金を惜しまず治療法のセミナーに参加して知識と技術の習得に励みながら、実際の臨床で使える本当の技と対応力を身につけました。
モーションパルペーション

「『保険で最低限の治療しかできない』という制度の垣根を超えて、患者さんを全力で治療したい!」という思いをかなえるためには、将来独立開業を目指す若い柔道整復師や鍼灸師と同じことをしていては、絶対に目標は達成できないと考えていました。
だからこそ、地道に努力を積み重ね技術を磨くことはもちろん、「自費治療の経験を積む実践こそが一番の勉強になり、夢を叶えるための近道になる」と信じて行動しました。

もちろん、患者さんの自宅で治療して結果を出すことは大変でした。
それに、この試みを行うことで休みの日がなくなりますので、心身ともに疲労が蓄積されていきました。

こころ鍼灸整骨院開業
こうして無我夢中で往診治療を続けている中、ふとカルテを数えてみると130枚を超えていたので驚きました。
しかも、そのカルテの半数の方が小野市の患者さんだったのです。
そんな縁もあり、ついに平成25年1月に小野市にこころ鍼灸整骨院を開業することができました。
「もう治らない」
「年だからしかたない」とあきらめている方々の悩みや不安が治療によって改善され、ご自分の仕事や趣味に再び取り組めるようになっていただくことが私の喜びでもあります。
これからも技術を磨き、新たな知識を吸収し続け、患者さんと治療者がお互いに笑顔になれる関係を築けるように努力を継続していきます。
作尾大介

院長 作尾大介